東京地方裁判所 昭和37年(ワ)5120号 判決 1963年10月14日
判 決
東京都北区中十条一丁目三四番地
原告
安保晃治
右訴訟代理人弁護士
石黒武雄
右訴訟復理人弁護士
平山信一
東京都豊島区要町三丁目三二番地
被告
黒川敬
東京都板橋区志村一丁目一〇番地
被告
太陽自動車工業株式会社
右代表者代表取締役
桐生稔
右両名訴訟代理人弁護士
窪田澈
右当事者間の昭和三七年(ワ)第五一二〇号損害賠償請求事件について当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
1 被告らは、各自原告に対し金三八一、五六〇円およびこれに対する昭和三七年七月一〇日以降右支払ずみに至るまでの年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求は、棄却する。
3 訴訟費用は、全部被告らの平等負担とする。
4 この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「1被告らは、各自原告に対し金四〇〇、七六〇円およびこれに対する昭和三七年七月一〇日以降右支払ずみに至るまでの年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執の宣言を求め、その請求の原因として、
一、昭和三五年九月二日午後六時五五分頃東京都板橋区長後町一丁目三番地先交差点において原告の乗つていた足踏二輪自転車(以下「原告車」という。)被告黒川の運転する軽二輪自動車(第わ三六四五号。以下「被告車」という。)とが接触し、よつて原告は、路上に転倒し、右下腿複雑骨折の傷害を受けた。
二、<以下省略>
理由
一、請求原因第一項の事実(事故の発生および原告の受傷)は、当事者間に争いがない。
二、そこで被告らの責任原因について審究する。
1(一) まず被告黒川の有無について考えるに、当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第一四号証を綜合すれば、事故の現場は、南北に通ずる中仙道電車通りと東西に通ずる道路とが交差しているところで、主街路たる南北に通ずる道路は、南方は志村坂下を経て巣鴨方面に至り、北方は埼玉方面に至る全幅員二五米の舗装道路である。そしてこの道路中央に幅員約六米の軌道敷石があり、この敷石上には一・四米の間隔をおいて幅員一・五米の都電軌条が二條あて敷設してあり、この軌道敷の右左にコンクリートで舗装された車道が、実にその両側には幅員約四・二米の歩道がある。また東西の道路は、それぞれ異なつており、西方の西台方面に通ずる道路は、全幅員約一〇・五五米のアスフアルト舗装車道であるが東方の志村三丁目方面に通ずる道路は、幅員約六・二五米の簡易舗装の道路である。この交差点の四隅には、東京都公安委員会の設置した自動信号機が合計五個存在し、またそれぞれの道路上には、交差点に入る手前に横断歩道が画されている。そして交差点の東北角、西北角および西南角には、それぞれコンクリート塀がめぐらされ、また東南角にはガソリンスタンドがあつて、東西の道路から南北に走る中仙道を見通すことは困難であるが、交差点に出ればこれを見通すことは勿論、東西の道路を進行する車両の動向も十分察知しる得る状態である。
(二) (証拠―省略)によれば、被告黒川は、本件事故当時板金の仕事を頼むため、被告車に龍岡板金の訴外金城大元を乗せ、被告会社に向つて西台方面から事故の現場たる交差点にさしかかつたところ、交差点の信号機の標識が赤色を示していたので交差点の停止線で一旦停車し、その識識が青色に変るのを認めるや直ちに発進して同交差点内に進入したこと、そして南方の志村坂下方面に向つて右折しようとして前方を見たところ、原告車に乗つた原告が東方の志村三丁目方面からすでに交差点内に進入し、被告車に対向してかなりの速度で西台方面に向い進行して来るのを認めたこと、しかし同被告は、至近距離まで原告車が接近して来ておつて、その速度および進行方向からみて原告車の前方を横切り右折することが極めて無理であると客観的に認められるにもかかわらず、スピードを出せば原告車の前方を先に右折進行できるものと簡単に即断し、一時停止をすることなく、そのままハンドルを右に切り、爆音を発して交差点の中央より東方志村三丁目方面に寄つた都電の軌條の外側辺を進行したため、たまたま同地点を西方に向つていた原告車の直前を横切る結果となり、あつという間もなく被告車の左後部バンバーを原告車の前輪に激突せしめ、原告をその場に転倒せしめたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで本件事故当時は、未だ現行の道路交通法は施行されておらず、旧道路交通取締法が適用されていたころであつて、同法第一八条の二によれば、手信号による交通整理の行われていない交差点で右折しようとする車馬は、直進しようとする車馬があるときは、これに進路を譲つて、一時停車するか又は徐行しなければならず、ただし直進しようとする車馬の進行している地点、速度、進行の方向等から安全に通行できると合理的に判断される場合においては、一時停車することを要しないと定められている。してみると、被告黒川は、この規定に違反し、直進して来た原告車の進路を妨害したため、本件事故が惹起されたものというの外なく、同被告が右規定を遵守さえしていれば、このような事故は、起きなかつた筈である。従つて、本件事故は、もつぱら同被告の過失に基因するものというべく、原告には何らの過失がない。なお、被告らは、原告が交差点の西南角にある煙草屋で煙草を買う目的から被告車の進行に気付かなかつた過失がある旨主張するけれども、右主張に副うが如き被告会社代表者の供述は、伝聞にすぎず、たやすく措信できない。反つて原告本人尋問の結果によれば、原告は、社用で勤務先である訴外二葉製作所が取引をしている訴外白鳥製作所(同製作所は、交差点から西台方面に向う道路を若干進行し、南方の小さな路地を南進した先に在る)に向うため本件交差点にさしかかつたことが認められる。他に右認定に反する証拠はない。従つて、右主張は、採用のかぎりでない。
してみると被告黒川は、直接の不法行為者として民法第七〇九条の規定により原告の受けた次項の損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
2 被告会社が被告車を訴外三善商会から修理のため預り保管していて、これを使用する権利を有していたこと、そして被告会社の業務を執行するため被告黒川をして被告車を運行させ、その運行中に本件事故が惹起されたことは、当事者間に争いがないから、被告会社は、自己のために自動車を運行の用に供する者に該当し、本件事故は、自動車の運行によつて他人である原告の身体を害した場合に外ならない。従つて、被告会社は、自賠法第三条本文の規定により、原告の受けた次項の損害を賠償すべき義務がある。被告は、本件事故が原告の過失に基因すること、仮に被告黒川の過失が肯認されるとしても、被告会社は、被告黒川の選任および監督に十分注意を払つた旨主張するけれども、右主張は、被告会社の損害賠償責任を免責すべき事由として十分でないばかりか、前叙のとおり、本件事故は、被告黒川の過失に基因するものであるから、被告会社は、右責任を免れることができない。
三、そこで原告の受けた場合について判断する。
(一) 財産的損害
(1)(イ) (証拠―省略)によれば、原告は、本件事故によつて受けた傷害につき病院で治療を受けたほか、売薬タプソール、ワダカルシウムを購入し、その代金四、五一〇円を支出し、また(ロ)(証拠―省略)によれば、原告は、手術後入院期間中身体の健康回復に必要な栄養物として牛乳を飲み、その代金一、六〇〇円を支出したことが認められる。(ハ)なお、原告は、そのほか、温泉療療費金一、二〇〇円を財産的損害として請求しているが、証人(省略)の証言によれば、単に医師から温泉が身体のためによいからといわれたので、原告が妻および小供二人を同伴して湯河原へ出かけたのであつて、医師が温泉療養の必要を認め、かつ医師の直接指示の下に湯河原に赴いたものとは認められぬから、原告の受けた傷害の治療に湯河原での温泉療養が不可欠かつ適切なものであつたとはいい難い。従つて、原告の支出した右費用は、本件事故によつて生じた直接的損害ということができない。
(2)(イ) (証拠―省略)によれば、原告は、入院期間中、読売新聞を購入し、金三、三七〇円を支出したことが認められる。しかして、同証人の証言によれば、原告の家族は、両親、兄弟を含めて九人家族であり、原告が自宅で購入していた新聞を病院でとることにして、自宅のをやめれば、当然原告の両親は新聞を読むことができないわけであつて、そのため特に原告は、病院で別個に新聞をとることが必要であつたことが認められる。そして、今日のように日刊新聞紙が我々の日常生活にとつていわば必需品化している時代にあつては、原告が病院で読売新聞を購入することは、十分肯認しうるところであるから、右代金を原告の受けた財産的損害として請求することは、理由があるものといわなければならない。(ロ)(証拠―省略)また(証拠―省略)によれば、原告の入院中病院に暖房設備がなかつたため、木炭等を購入し、その代金一、三八〇円を支出し、更に(ハ)(証拠―省略)によれば、原告は、傷害によつて起居に不自由を感じ、三折籐椅子を購入し、その代金七、五〇〇円を支出し、それぞれ同額の損害を蒙つたことが認められる。
(3) なお、原告は、入院期間のうち四五日間は、妻が附添看護したこと、そして労災保険により給付される一日の附添看護料は、金四九二円であるから、その範囲内である金四〇〇円が妻の看護労働に対する対価であつて、四五日間の合計金一八、〇〇〇円が原告の受けた財産的損害であると主張する。しかし、右主張自体から明らかなように、原告が右金員を現実に妻に支払つたわけのものでなく、あくまでそれは計算上のものにすぎない。しかも夫たる原告が負傷のため入院し、附添看護婦がいないための不自由を察して、妻が献身的に夫の身のまわりを世話することは、妻の夫に対する愛情の発露とみるべきものであつて、これを金銭的に評価し、原告が本件事故によつて受けた財産的損害というのは、いかにも常識に反するものといわなければならない。従つて、右は、主張自体理由がないものというべきである。
(4) (証拠―省略)によれば、原告が本件事故によつて勤務先を休んだ結果、(イ)給与差額金五九、二〇〇円、(ロ)夏期手当差額金三二、〇〇〇円、(ハ)年末手当差額金二三、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことが認められる。
(二) 精神的損害
(証拠―省略)によれば、原告は、本件事故当時株式会社二葉製作所に勤務し、月平均二六、〇〇〇円余の給与を得ていたが、事故によつて右下腿部複雑骨折の傷害を受け、直ちに竹川病院に入院し、以後翌年七月一八日に至る約一一カ月の間病院に入院し、その間二回に亘る手術を受け、昭和三五年一一月末頃までは殆んど寝たままの状態で過したこと、そして退院後もなお固定釘抜の再手術を残し、現在杖なしでは歩行が困難であつて、そのため机上の仕事のほか、現場の仕事を必要とする前記二葉製作所を辞める破目に陥つたこと、しかし経済的な余裕がないため静養に専念することができず、下自由な身体に鞭うつて株式会社新潟鉄工所に勤務し、机上の仕事のみを担当して、家族を養つていること、それにひきかえ被告らは、口先だけはさも原告の財産的損害を負担するかのような素振りを示しながら、今日に至るまでほんの御見舞をする程度で何ら誠意ある態度を示さないことが認められ、他に右認定に反する証拠がない。これら諸般の事情を考慮すれば、原告の精神的苦痛に対する慰藉料は、金二五〇、〇〇〇円を下らないものということができる。
四、してみると原告は前項(一)(二)の損害金合計金三八一、五六〇円の損害を受けたことが明らかである。被告らは、右損害につき損失相殺の主張するが、前叙のとおり本件事故は、被告黒川の過失に基因するものであつて、原告には何らの過失も認められないから、右主張を採用することはできない。
よつて被告らに対し右損害金三八一、五六〇円およびこれに対する損害発生後で被告黒川に対する本件訴状送達の日の翌日であること一件記録上明らかな昭和三七年七月一〇日(なお、被告会社への訴状送達日は、昭和三七年七月八日であるが、同会社に対しても同年七月一〇日以降の遅延損害金を請求している)以降右支払ずみに至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の請求部分は、理由があるから、正当として認容し、その余の原告の請求部分は、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条但書、第九三条第一項本文の各規定を、また仮執行の宣言につき同法一九六条第一項の規定を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第二七部
裁判官 吉 野 衛